メールマガジンバックナンバー Vol.119(小山哲夫さん)

メールマガジンバックナンバートップ熊本YMCAメールマガジン登録

小山 哲夫さんのメッセージ「わが故郷近江八幡・YMCA・ボーリス」

▼▽▼━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━2013/06/19 Vol.119━

 熊本YMCA メールマガジン https://www.kumamoto-ymca.or.jp/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━▼▽▼

   ★☆ 会員・地域からのリレーメッセージ-第27弾 ☆★

 小山 哲夫さんのメッセージ 「わが故郷近江八幡・YMCA・ボーリス」

――――――――――――――――――――――――――――――――――

2011年6月からリニューアルしたメールマガジン!
毎月1回、主にボランティアの皆さんが登場し、それぞれの立場からYMCAと
の関わりやその魅力、ご自身の体験談や取り組んでいる活動について紹介して
くださいます。きっと「ほぉ、YMCAってそんな事もしていたの?してるの?」
って新発見があると思います。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

          「わが故郷近江八幡・YMCA・ボーリス」
                               小山哲夫

 日露戦争が終わった明治38年の2月2日、ウイリアム・メレル・ボーリスは、
近江八幡駅に降り立った。近江商人育成の流れを汲む滋賀県立商業学校の英語
教師としての着任であった。ボーリスは、コロラド大学で学生YMCAと出会い、
卒業後、米国YMCAを通じての来日であった。当時、信頼できる外国人教師を
雇うには、YMCAをはじめとするキリスト教界のネットワークに、公的機関も
頼らざるを得なかった。

 ボーリスは、英語を教える傍ら、聖書を学ぶバイブルクラスを開き、多く
の商業学校の生徒たちは、彼の人格と共に聖書の教えに引き付けられた。一
方、聖書に関して教えることは、学外においても、学校側の理解を得られず、
ボーリスは教師を解雇された。
 しかし、彼は帰国せず、近江八幡に、商業学校の若き卒業生らとYMCAを設
立した。明治40年(1907年)のことであった。
 その後、YMCAを中心とする社会事業運動として、近江兄弟社を興し、建築、
病院、製薬(メンソレータム)、教育の各事業を始めた。YMCAは、その諸事
業の中心に位置づけられ、YMCA理念の実現が図られたと私は理解している。

 私は、近江兄弟社学園の幼稚園・小学校・中学校・高校と3歳から18歳まで
在籍し、YMCAスピリットの恩恵を受けていた。また、Y'sのコメットでもあっ
た。幼稚園では、ボーリスと鬼ごっこをした愉快な記憶がある。日曜日には、
学園の先生たちが、ボランティアで日曜学校の教師を務めておられた。生徒
も任意の参加であったが、小学校の私たちに、中高の先生がキリストの物語
を教えることと、私たちがその先生との出会いを楽しむことが相まって、非
日常的喜びでもあった。折に触れて、YMCA主事がレクリエーションやキャン
プを指導し、高校時代には、ハイスクールYMCA活動に参加し、全国のそのHiY
(ハイスクールYMCA)メンバーと交流したことも想い出深い。これらの体験の
素晴らしさに、本当に気付いたのは、熊本YMCAの職員として働き始めてから
であった。

 熊本YMCAで、最初に関わった仕事は、阿蘇YMCAを会場とする野外教育、社交
ダンスや絵画教室などの芸術苑、今のICR活動である会員活動であった。近江
兄弟社学園やYMCAで体得したレクリエレーション、ソング、クラフトなどが
一気にキャンプで役立ったことは、全く予想していなかったことであった。

 今日、ボーリスが、大正・昭和にかけて設計した西洋建築は、高い評価を
得、彼の建築物と共に近江八幡は、一大観光地となっている。
 彼の友人の一人が、当時同志社にいた、シドニー・ギューリックであった。
因みにYMCAの三角マークを考案した、ルーサー・H・ギューリックは彼の弟
である。兄シドニー・ギューリックは、熊本洋学校の伝統を継いだ熊本英学
校教師、また熊本草葉町教会宣教師として、明治の初め在熊した。ご存知の
方も多いと思うが、昭和に入り、日米の関係悪化を憂いて、渋沢栄一等と
日米友情人形交流を行ったその人である。また、同志社のカレッジソングの
作詞者はボーリスであり、曲の採譜者はギューリックである。カレッジソン
グの主旨は平和、反戦であり、近江兄弟社学園校歌も平和がテーマで、ボー
リスが作詞作曲した讃美歌236番のタイトルも平和である。その意味でも、
私がYMCAの中で平和教育に携わることが許されたことにも運命的なものを感
じる。

 1972年、熊本YMCA入職報告をした折の、亡き母の言葉を今も思い出す。
『ある時、母が幼い私を抱いて、近江八幡駅へ出かけ偶然に、メレル先生に
出会った時(私たちは、ボーリスをミドルネームである、メレル先生と呼ん
でいた)彼は私を抱き上げ、「この子は、将来近江兄弟社やYMCAのために
働く人だ」と言ったとのこと。「そのように成ったね」』と、母の言葉で
あった。

―――編集後記―――――――――――――――――――――――――――

 小山哲夫さんは、前熊本YMCA総主事としてご活躍いただきました。熊本YMCA
の国際派として、全国YMCAでもリーダーシップを発揮された方です。ニック
ネームは“テディ”。米国サンフランシスコに一緒に訪問させていただいた
ときも、現地YMCAのスタッフは“テディ”と呼ばれていました。友好親善に
力を注がれ、~日米友情人形交流~には特に熱心に関わられました。今、熊
本YMCAでは、「歌声広場わいわい」のリーダーとして、中央・みなみ・東部・
むさしYMCAでご奉仕いただいています。感謝。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

このメールは、熊本YMCAサイトのメールマガジンサービスに登録いただいた
方とインターネットでのお申し込みの際にメールアドレスを登録していただ
いた方にお送りしています。

▽登録内容の変更・配信停止
--→ https://www.kumamoto-ymca.or.jp/cgi-bin/mail/mail.cgi


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▽編集・発行 熊本YMCA
  Webサイト https://www.kumamoto-ymca.or.jp/
  E-mail mailmaga@kumamoto-ymca.or.jp
  TEL 096-353-6397
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



このページの上へ