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【Yストーリー13】命を守るため、災害への備えを

2016年6月14日

 12日午後10時すぎ、熊本県八代市で震度5弱の揺れを観測する地震があった。熊本で震度5弱以上の揺れを観測したのは、4月19日以来のこと。
 倒壊したままの家、ブルーシートに覆われた町、途絶えた線路…。地震の余波が、回復に向かおうとする町や人を2ヵ月前に引き戻す。熊本の人なら、きっと同じ感覚を抱くだろう。

線路

「ブィッ、ブィッ、ブィッ、地震です」。スマートフォンから流れる緊急地震速報音。その場のほとんどが、思わず顔を歪ませた。この音を合図に段ボールが崩れ、“食事中”だった4人は一斉にテーブルの下に身を伏せた。
 熊本地震から2ヵ月を前に、熊本YMCA赤水保育園では保育職員研修が行われていた。参加したのは、熊本YMCAが運営する、赤水保育園、尾ヶ石保育園、永草保育園、黒川保育園の阿蘇市4園と、水前寺幼稚園、ぶどうの木幼児園の職員55名。参加者はグループに分かれ、[1]地震 [2]火山噴火 [3]火災 [4]水害を想定した模擬訓練に取り組んだ。
 地震シミュレーションでは、暗がりの設定で目隠しをして簡易ベッドに横たわり、人工の揺れを感じながら避難を試みる体験も。体験者は、辛うじて枕元の懐中電灯を手に起き上がることはできたが、ベッドの横に散らばったダミーのガラス片を踏みつけてしまい、戸惑いの表情を見せた。

災害訓練

 研修に先駆けた礼拝で、日本福音ルーテル大江教会の立野泰博牧師は、「水害や火山についての心構えはあったが、地震に対する備えは何一つできていなかった。熊本地震は“想定外”だった」としたうえで、東日本大震災の事例を挙げ、「平時の姿勢が非常時に表れる」と訴えた。

 海岸から50メートルの距離にあった石巻市の保育所には0歳から年長まで103名の園児がいた。地震発生からわずか30分で津波が到達。それまでに園児は高台へ逃げ、全員が無事だった。命運を分けたものは何だったのか。――「地震の後には津波が来る」。保育所では、この意識に基づいた実践を実直に積み重ねていた。毎月3回、園児にロープを握らせ、高台を目指す訓練を繰り返し行っていたのだ。2011年3月11日、地震が発生してから徹底されたのは、「落ち着くこと」と「いつもどおりに行動すること」だったという。

 阿蘇周辺は2012年に九州北部豪雨に見舞われ、土砂崩れが発生した地域。家屋の解体は終えたものの同じ土地に家を建てることをためらい、転居する人なども出てきていると聞く。熊本は梅雨を迎えている。地震で地盤が緩んでいる場所もあり、土砂災害への懸念が指摘される。たとえ余震が収束しても、熊本地震がそれで終わりというわけでは決してない。「自分が生きなければ、子どもたちは守れない」。研修の学びが、これからの支援と次の災害への備えにつながっていく。大切な命を守るために。

写真及び報告作成:因幡亮治 熊本YMCA

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