みなみYMCA

みなみYMCAの前史(南部センター開館)

2004年の4月に開館した、みなみYMCAは、2014年に10周年を迎えます。その前史である南部センターについてお知らせいたします。

南部センター建設計画

1980(昭利55)年、長期展望委員会から中期計画委員会へと、熊本YMCAの方向性を検討していた役員会は、1981(昭和56)年度からの積極的な前進計画をスタートさせてく。南部センターの建設計画も、この中期計画の一つであった。熊本YMCAは当時、とにかく体育専用の施設が欲しかった。1968(昭和43)年度から体育部を組織してきたものの、体育部の者に値する施設は永い問実現しなかった。このような状況の下で、南部センター建設が計画されていった。1982(昭和57)年715日開催の理事会は、屋内プールを含む体育館建設計画に関する協議を開始した。市内田迎町出仲間の国道266号線通称浜線バイパスの沿線に所在する1,300坪の農地を、一部買収し、他を賃借条件によって、プールと体育館の2棟を建設しようとするものである。

 当時、熊本市の土地区画整理事業は、南部地域にも積極的に計画が実施されており、また大規模流通団地構想を含む、東バイパス沿線の開発計画など、都市人口の増加は将来多くを見込まれていた。当然、YMCAの働きに対する期待も予想されることであり、これらの条件による事業拠点開発は計画されたのである。理事会は、現地を検分、「体育館用地(熊本市出仲間字北の坪819番地他2筆面積4,315㎡)について協議の結果、これを拠点として体育施設建設を目指すことを決議した。」南部センターの建設にあたっては、いくつかの試みがなされ、熊本YMCAにとって初めての本格的体育施設が実現することとなった。

 その一つは、建物の構造をこれまでにない斬新なものにしたいと考えたことである。その結果、設計監理を東京の株式会社日興建築設計事務所に依頼し、同社が特許を所有する「マイティプールハウス」方式の計画を採用することとした。この方式によると、プール部分が開閉式になっているため、屋内プール特有の湿気による障害が少ないこと、また、自然光の照射によって水温が保たれ、ボイラーによる加熱の必要性が極度に減少すること、さらに幼児少年少女が利用する場合、屋外の雰囲気に追いなどの利点が挙げられる。広鳥以西においては、初めてのタイプの施設という話題性もねらいの一つであった。尚、建築業者は地元の株式会社岩永組が施工にあたった。

 この南部センター建設については、建設募金を実施している。1976(昭利51)年度に実施した東部膏少年センター建設募金の6年後の1982(昭和57)年には南部センターの建設募金を行ったのである。「募金は、YMCAに活力をもたらす。」(全国YMCA施設拡充運動の募金マニュアルより)「YMCAは建物ではない。建物を建てる或る力である。」(チャールズKニーバー「YMCAとは何か」より)と先人の伝える言葉がまさしく熊本YMCAの働きそのものである。南部センター第一次施設は、このようにして完成した。

一方、二次施設は地権者からの借館によって、1984(昭和59)年4月「熊本YMCA南部総合教育センター」と呼称する施設を開館した。建物概要 鉄骨造亜鉛メッキ鋼板茸2階建(1階:788852階:21394)この施設の完成によって、隣接の室内プール施設と共に、熊本YMCAの永年の念願であった本格的民間社会体育施設の実現を見たのである。「室内プールは、25m×6コースの温水循環方式、ロッカー室シャワー室等完備。総合教育センターは、体育室、アスレツチクジム、ジョギングトラック、サウナ、シャワー、ロッカー、40名取各教室4室。」熊本YMCA関係者の喜びは大きかった。そして、事業運営もさらに順調な道を歩み始めるのである。南部センターは、熊本YMCAにとって待望久しかった体育施設であり、その実現のため募金をはじめ、実に多くの人々の協力と支援のあったことはいうまでもないが、その中でのエピソードを紹介します。現在、みなみYMCA一階のホールに掲げてある「ノアの箱舟」を主題にした151cm×215cmの大作の油絵は、渕日安子氏の作品である。渕田氏は海老原喜之助の高弟の一人で中央画壇でも名の知られる画家である。渕田氏は、熊本YMCAの要請に快く応じ、聖書の中から主題を執るため聖書を熟読の上、旧約聖書の創世記のノアの箱舟の規模、形状など、聖書の記述を正確に表現した作品に仕上げたとのことで、しかも、渕田氏は絵具代しか受け取らなかった。

(熊本YMCA50周年史より)

以 上


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